【大河ドラマ「光る君へ」コラム】まひろと三郎 出会いの場は散楽見物 唐から伝わった芸能は社会派エンタメだった?

大江 篤 大江 篤

女優の吉高由里子さんが主演を務める2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」がスタートしました。平安時代を生き、現代でも読まれ続けるベストセラー「源氏物語」を書き上げた紫式部を主人公に、彼女の作家人生が描かれます。初回のラストは衝撃的でした。

三郎(藤原道長)とまひろ(紫式部)の出会いは、平安京の市中に「散楽」(さんがく)という芸能を見物に出かけたときでした。今回はこの散楽についてみていきましょう。

政変を風刺したストーリー

ドラマでは、三郎の従者の百舌彦が「あれは藤原の悪口ですから」と制したにもかかわらず、「だからおもしろい」と三郎は散楽見物に出かけていきます。さて、そこで演じられていた寸劇は、布作面(蔵面・ぞうめん)をつけたコウメイを、3名の藤原氏が誅伐したものの、コウメイの霊が一人に乗り移り、次々と殺されるというものでした。コウメイはおそらく源高明のことで、安和の変(969年に冷泉天皇宮廷に起きた政変 醍醐天皇の子で左大臣の源高明が失脚)を風刺したストーリだったことがわかります。

散楽は、7世紀に唐から渡来した芸能で、曲芸や奇術、踊りなどが含まれたものでした。奈良時代には、朝廷がこの芸能の普及を助成し、相撲節会や神楽の際に即興的なものとして演じられました。やがて、市中に広がっていくなかで、簡単な筋のあるマイムを演じるようになります。このころの様子は、『新猿楽記』(藤原明衡著)によって知ることができます。この書は、散楽(猿楽)見物に出かける家族に仮託して、世相・職業・文物などをまとめたものです。田楽、人形劇、奇術・幻術をはじめ、散楽が雑多な芸能であったことがうかがえます。中世になり、散楽(猿楽)の寸劇や歌謡から「能」が生まれました。

さて、ドラマの場面で興味深いのは、殺害されたコウメイの霊が別の人物に憑依し、まわりの人物を攻撃した点です。「源氏物語」の六条御息所の霊の所業に通じます。また、宮中の事件が散楽を通して都の人々に伝わっています。現代ならば、テレビやSNSなどのマスメディアで拡散されることでしょう。散楽は、宮中と市井をつなぐメディアの役割をはたしていたのです。

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神と霊が照射する古代の人々の心を「怪異学」の視点で研究する園田学園女子大学学長の大江篤さん。「怪異学」とは、フシギなコトやモノについての歴史や文学の記述や記録を解読することで日本人の心の軌跡にアプローチする研究分野です。研究者が見る「光る君へ」論を寄稿してもらいます。

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